スウェーデン上陸!

 

 1999年8月13日のデンマーク・カストルップ空港周辺はとてもいい天気だった。タイを経由して日本からの数十時間のフライトでかなり疲れていたはずだが、カストルップ空港に降り立ったときにはその疲れも感じていなかったようだ。

 私の最終目的地はデンマークではなく、スウェーデンのルンド。スウェーデン南部に位置する学園都市だ。カストルップ空港からは1999年当時、スウェーデン第3の都市・マルメを経由したルンド行きのバスが出ていた。私は空港でルンド行きバスのチケットを購入。現在はマルメとカストルップ空港及びコペンハーゲンを結ぶ橋、オーレスンド橋がありルンド−コペンハーゲン間なんて小1時間もあれば車や電車で行けるようになったが、当時はまだフェリーしかない時代。その空港からルンドまでのバスのチケットにはもちろんフェリーの運賃も含まれていた。

 カストルップ空港前にやってきたルンド行きのバスに乗り込み、バスはフェリー乗り場へ。それからフェリーに乗り換えオーレスンド海峡を約40分ほどで渡り、それから再びバスでマルメを経由しルンドまでのちょっとした旅だ。

 フェリーの中で簡単な昼食をとることにした(いや、朝食だったか?)。小さなエビがのったオープンサンド。それを食べながらうっとりするほど美しい、青がキラキラと輝くオーレスンド海峡を見ながらの40分間の船旅。あのフェリーからの眺めは本当に美しかった。オーレスンド橋からの眺めもすばらしいけれど、あの時の景色は忘れることができない。知っている人が1人もいないスウェーデンで勉強・生活しようというのに、これっぽっちの不安も恐れも何もなかったのはどうしてだろう。あの時の感覚を思い出すと、今でもワクワクする!今思うと不思議な始まりだった。

 マルメ・ルンド間のバス旅は約20分というまさにあっという間。そうこうするうちに私はルンド駅前に、これから数ヶ月間これだけで生活するんだぞ!という大きいスーツケースと共に立っていた。これからとりあえずの宿、ルンドのユースホステルに行かなくてはならないが、場所がわからない。駅前の地図を見るが、見つけられない。最悪なことにルンドの道は(特に中心部)旅行者には非常につらい石畳。こんな道をスーツケースを押して行くことは不可能だ。私は仕方なくタクシーでユースホステルまで行くことを決意。しかし1台目のタクシーのおじさんは、ユースホステルがどこにあるのか知らないと言って、乗車拒否。2台目のおじさんはあっさりとOKしてくれ、住所をたよりにユースホステルまで行ってくれた。到着して驚いたのだが、そのユースホステルはなんと駅の裏だった。当時は駅の西側は今のように開発されておらずそのまま行くには非常に困難な場所だったが、今はエスカレーターやちょっとしたお店等もでき立派な西口になっており、そこからユースには簡単に行くことができる。

 とりあえず私のここ3日間の宿は確保した。私は荷物を置き、食料調達、そして散歩へとでかけた。

 初めて食べ物を買ったのは忘れもしない、ルンド駅前のICAスーパー。今はその店もセブンイレブンとなって駅前でルンド人及び旅人を暖かく迎えている。そこでフルーツと菓子パンを購入。その菓子パンはそれから数日間食べ続けたので、それ以後食べる気がなくなって、いまだに購入していない(2002年そこはセブンイレブンになりました)。

 8月中旬といっても空気は冷たくとてもさわやかな気候だ。散歩のし甲斐があり、毎日ルンドを散策しまくった。

 3日後の16日が私がこれから一年間スウェーデン語を勉強するfolkuniversitetの受付日だった。そこでこれから住む学生寮を告げられ、鍵を渡された。私がその日から10ヶ月間住む部屋はルンドの東にあるスパルタという名の学生寮だった(ルンドにはこのほかにヴィルダンデンやデルフィーなどいくつかの学生寮が点在している)。鍵を受け取った後、ユースホステルに戻り荷物を持ってスパルタを目指した。

 スパルタへ着き、自分の住む棟を探し(けっこう大きい寮)、自分のコリドー(約10人の学生が1グループをつくり1つの台所を共同でつかっている。その1グループの名称)にやっとたどり着き、自分の部屋を開けてビックリ。大きい!これが第一印象。しかも机・ベット等の家具付き。荷物を置き、落ち着いたところで同じコリドーの人に挨拶。8月中旬といったら学校も始まっていない夏休み。ほとんどの学生が実家に帰っていたり旅に出ていたりと、その時コリドーにいたのは3人ぐらいだっただろう。

 それから毎日が本当に大小の驚きの連続だったが、私の心はやっぱりワクワクに埋め尽くされていた。

 こうやって私のスウェーデン生活が始まっていった。

 

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