日中友好熱烈歓迎の巻

 

   きっかけ  私の初めての外国はハワイでもカナダでもなく、中国。しぶい?

 私が中学一年だった夏(1984年。あ、年がばれる)、私の田舎の市町村が日中友好と題してツアーをくんだのだ。物好きな母はその旅行に私と二人で行くことを決めた。

 いまほど海外旅行が盛んでなかった当時のことを考えると、母(当時35才)の決断はすごかった。

 この旅のちょっと変わったところは、まず日中友好を目的とする団体であったこと(もちろん中学1年の私そんなことはあまり考えてなかったが)、そして九州から中国までの船旅であったことだった。

 私の田舎の近くには港があり、そこからイギリスの豪華客船「コーラス・プリンセス号」(なんという日中友好団?!)にのり一同は中国へと向かったのでした。

   豪華客船:コーラル・プリンセス号

 とにかくかなり昔のことなので旅の詳細はあまり思い出せないのだが、この船のことはよく思い出せる。

 豪華客船での船旅はこれが最初で最後だろうと思っている。

 まず船の中には客室がたくさんある。それは4人部屋から豪華1人部屋と各種そろっている。

 そして大きなレストラン。私達はそこで一日3回の食事をとった。

 その他にもバーやちょっとしたホール、プール、ビリヤード場、映画館もそろっていた。

 ある晩、とても晩ご飯を食べたにもかかわらずお腹がすいた私は母と一緒にそばを食べに行った。そこで3杯のそばを平らげて、次の日は一日中お腹が痛かったことを覚えている。

   台風と一緒に

 夏の日本といったら、台風の季節。

 台風とはぶつかりはしなかったが、同じ時期に台風が日本付近に接近しており、その影響かすごく船が揺れた。

 私はおきまりのように船酔いに悩まされたが、母は晩ご飯あとは、仲間とのお酒にいつも楽しく酔っていた。

   大連到着

 中国の初めての地は、大連。

 2日ぐらい船に揺られていたので、久しぶりに大地を踏みしめているというのに、地面が揺れる。

 この揺れる感覚は、私の周りの人も含めて1日ぐらいつづいた。

 大連では地元の人達との交流会や食事をして親睦を深めた。

   次は天津

 大連をあとにして次に訪れたのが天津。天津丼の天津?

 ここでも同じようなスケジュールをこなし、日中友好万歳!

 天津をあとにする。

   中国の首都北京〜悠久の歴史:万里の長城〜

 最後にやっぱり首都は押さえとかないと、ということで(ということではない)訪れたのが北京。

 もちろん中国といったら“万里の長城”。これ行かない人はいないだろう。

 しかし若干12才の私にはこれがきつかった・・・。

   万里の長城に行く日、私達は午前4時か5時に起こされた。

 バスの中で昨日の晩取ってきた饅頭の残り(あん入りではなくて皮だけのもの)を寝ぼけながら食べる。

 そのうちトイレに行きたくなるが、なかなかトイレ休憩がない。もちろんバスにはトイレなんてついていない。

 何時間我慢しただろうか。

 やっと万里の長城についた。

 トイレ!!・・・と思ったがトイレに行くのが容易ではない。12才の私一人ではトイレに一人では行くことができなかったのだ(このような臆病な私を今の私からいったい誰が想像できるだろうか!←有料トイレをタダで使う女、及びマックのトイレは私のトイレ)。

 結局トイレをずーっと我慢していた私は、ろくに“世界の遺跡万里の長城”を堪能することなく、ちょっとだけ階段を登っただけだった。歴史に思いをはせる余裕などなく、考えるのは常にトイレのことだけの状態のまま、万里の長城を後にしたのだった。

 この敵はいつかとってやるぅ!!

   アイス屋さん

 町中には(日本では)昔なつかし自転車の後ろにアイスボックスを乗っけてアイスを売るおじさん達をよく目にした。

 安かったので私も一日に3回ぐらいそれを食べていた。

 味は4〜5種類あって、毎日それをとっかえひっかえ食べていた。何か遠い昔を思い出す、素朴な味だった。

 私がアイスを買おうとそこにいくと、かならず毎回中国の人達の人だかりができる。

 まるでチンパンジーの花ちゃん(仮名)が、道具を使ってドアを開ける実験をしているかのように、人々は私の一挙手一投足に視線を向ける。

 そんなに私がアイスを買うのが面白かったのか??

 不思議な人々である。

   汽水

 食事の時にはかならずジュースがでた。

 大人達はビール。

 このジュースの名前が「汽水」。多分こう書かれていたとおもう。今考えるに、多分炭酸水の事ではないだろうかと思う。

 この炭酸水が結構不思議な味でおいしかった。

 味もオレンジ、パイン、その他にあと2種類ぐらいあったようだが、忘れた。

 水を飲むことができなかったので、とにかく食事の時にはこの汽水を飲んだ。

 ちょっとした思い出だ。

   トイレ

 中国は開放的なトイレでも有名だろう。

 トイレのほとんどをホテルで済ましていたのであまりすごい体験はしなかったが、ある日、昼食を取ったホテルでトイレに行ったところ、壁が半分の高さまでしかなかった。

 用を足していると、隣の人と容易に会話ができてしまう。

 どうして半分までしか壁を作らないんだろう。

 ここまで作ったら全部できるだろうに!・・・この疑問に答えられる方、メールお待ちしています。

 町のトイレはウワサによると、壁無しだったそうだ。

 なんとも不思議な国である。

   カメラマン

 このコーラルプリンセス号には専用のカメラマンがいた。

 彼は(多分)イギリス人。

 12才の私はそっこー恋に落ちた(感じがした)。

 彼は私達の船での写真をたくさん撮って、毎日写真コーナーに飾っていた。買いたい人は購入可能。

 旅の最後、私は思いきって写真を一緒に撮ってくれないかと頼んだ。

 今でも大事に取ってある旅の思い出だ(中国に何しに行ったんだ?)。妙にまん丸顔でコロコロしている当時の私がいる。

   帰国

 各地でたくさんの歓迎会・交流会をこなし、私達は帰路へとついた。

 現地では子供達とプレゼント交換をしたり、学校訪問して彼らの作品(お習字など)を見たり、時には日中友好卓球大会なるものまで催された。

 勝つわけないって!

 それらのハードスケジュールをこなし、とうとう帰国の日になった。

 再び2日近くの船の旅である。

 初めての外国旅行、何もかもが楽しくて(うちの母も私同様はじけちゃったらしい)日本に帰るのが非常にイヤだったのを覚えている。

 ちょうど次の台風も来ていたときだったので(この時期のアジアって本当に忙しい!)、この台風にのってどこか違う国に流されればいいのに・・なんてとんでもない考えも思いついた。

 子供って恐い。

 帰りはこの旅で知り合った友人達と船のプールで遊んだり、映画を観たりして、無事日本に、田舎の港に帰ってくることができた。

   団体旅行だったのでちょっと規制はあったけど、それなりに楽しく、美味しいものもたくさん食べられたし、変なトイレにもたくさん出会って、面白い旅行だった。

   今度はいつ船旅ができるかな?  

 

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